Battle Ship Mutsu Diving Tour
What is the Battleship Mutsu?
戦艦「陸奥」は、第二次世界大戦中には世界の“ビッグ7”“七大戦艦”の1隻に数えられた軍船で、同型艦の「長門」と共に、旧日本海軍の象徴となる戦艦でした。
しかし1943年(昭和18年)の6月8日、広島湾沖の柱島泊地に警泊中に謎の大爆発を起こし、多数の犠牲者を出しながら沈没することとなりました。
Wikimedia Commons/File:Japanese battleship Mutsu.jpg
戦後、遺族からの声もあり何度か引き上げ作業が行われたものの全てを引き上げることはできず、船の船首側の100m以上が水中に残されたままとなっています。
引き上げられた陸奥の砲塔の装甲や船体は、鉄屑として再利用されたほか、コバルト60の混入が無い希少な「陸奥鉄」として放射能測定における環境放射能遮蔽剤として利用されました。
また、主錨や錨鎖、スクリュー、艦首の先端部などは山口県の周防大島町にある「陸奥記念館」で展示されています。
戦艦陸奥は、瀬戸内海の周防大島の沖合、水深約38mに左舷側の船底を上に向け、横倒しになったような形で沈んでいます。
ダイビング時には、左舷側面にロープで船を固定して潜降していきます。
ツアーでは潮止まりの日を狙ってダイビングを行うため、あまり強く流れることはありません。また、瀬戸内海に位置するため、一般的なダイビングサイトよりも波は穏やかな場合が多いです。
数メートルほど潜降すると、陸奥の一番浅い部分が見えてきます。最大水深は約38メートルですが、船そのものが大きいため、一番浅い潜降ロープをくくった箇所の水深は13メートルほどです。
潜降後は見たい箇所によってルートが変わりますが、船首側に向かうと船の側面に開いた船窓に沿って泳いでいくことができます。
なお、戦艦陸奥の鉄は磁性を帯びているため一般的なコンパスは上手く機能せず、目で船の場所を覚えながら進んでいくことになります。
側面の壁によってオーバーハングのようになった内側に入ると、一気にうっそうとした雰囲気が増します。船体付近にはロープや鋼管などが残されており、ひっかかったりぶつかったりしないように適切なトレーニングと細心の注意が必要となります。
陸奥にはその他にも。船の上で人が生活していた痕跡や、砲塔、計器など数々の構造物が残されています。
各所を見に行くためには減圧やペネトレーション(内部進入)など高度なダイビング技術が必要なエリアもありますが、その先には他では得られない感動があることでしょう。
5泊6日、2ダイブ×4、合計8ダイブ
税別 480,000円(税込528,000円)
5泊6日(ホテル代・現地レンタカー費用など含む)、
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