Kirishima Underwater Cave & Spring Research
鹿児島県の霧島は、水の郷です。霧島連山が蓄えた雨は、地下を通って山麓のあちこちで湧き出し、人々の暮らしを支えてきました。その水は、地上を流れるだけでなく、火山がつくった大地の内側にも、まだ人の知らない空間を刻んでいます。
このプロジェクトは、霧島の「水の中」を調べる取り組みです。地域の研究チームと協働し、水中洞窟や湧水の水中部——ロボットは覗いても、人がまだ潜って確かめていない場所——に潜り、実測と記録を行います。
最初の現場は、霧島市横川町の「下ノ第2洞穴(しものだいにどうけつ)」と「大出水の湧水(おおでみずのゆうすい)」。下ノ第2洞穴では、佐世保工業高等専門学校(佐世保高専)基幹教育科・眞部広紀特任准教授の研究チームが水中ドローン(ROV)による調査で確認した水中洞窟と、その水底で発見した土器が割れた欠片のようにも見える物体についての調査。大出水の湧水では、水中部の湧水口の調査を行うものです。
ROVによる無人探査と、人による潜水。我々はこの協働を、研究者と実務潜水者が互いの強みを持ち寄る、相補的な調査手法の実証と位置づけています。
霧島市は、鹿児島県本土のほぼ中央に位置し、北に霧島連山を擁し、南は桜島を望む錦江湾に接しています。横川町は、霧島連山を東に望む、山あいの町です。町を流れる天降川(あもりがわ)の名は、水源が天孫降臨の地・霧島山にあると記した江戸期の地誌に由来するとされています。
1889年(明治22年)、上ノ・中ノ・下ノの三つの村が合併して横川村が生まれ、1940年に町制を敷き、2005年の合併で霧島市の一部となりました。本プロジェクトの調査地である下ノ第2洞穴と大出水の湧水は、いずれもこの「下ノ」にあります。
横川はまた、歴史の層が厚い土地でもあります。江戸時代には薩摩藩の財政を支えた山ヶ野金山の採掘で栄え、1903年(明治36年)開業の大隅横川駅には、県内最古級の木造駅舎がいまも現役で残っています。柱には第二次大戦中の機銃掃射の痕も残ります。下ノ地区の天降川上流の渓谷には、県指定文化財の磨崖仏「岩堂観音」も。山と水と、長い人の営みが重なった土地です。
※ 大出水の湧水の下流
秋吉台の地下水系、南大東島の地下の淡水——我々がこれまで潜ってきた水の多くは、石灰岩がつくった世界でした。石灰岩は水に溶ける岩で、溶けた隙間が洞窟になり、水の通り道になります。世界の水中洞窟の多くは、この「溶ける岩」の中にあります。
霧島は、そのどれとも異なります。
霧島山系は、日本有数の多雨地域です。標高1,200mのえびの高原には、年間平均4,400mm——東京の約3倍の雨が降るとされています。その雨の大半は地表を流れず、火山の大地にしみ込んで地下水になり、山の内部を通って、山麓の各所で湧き水となって現れます。霧島が「水の郷」と呼ばれるのは、この巨大な仕組みがあるからです。
大出水の湧水は、その出口のひとつ。毎分22トン、家庭の浴槽(200L)にして約110杯分の水が、いまも湧き続けています。地下を長く旅した水は、外気の暑さ寒さに関わらず、年間を通して温度が安定しているものです。
では、その水が通る大地は何でできているのか。霧島の地下をつくっているのは、火山の噴火が積もらせた火砕流の堆積物です。洞窟をつくる地質としては、石灰岩、玄武岩の溶岩流に次ぐ「三種類目」にあたり、その数は多くありません(佐世保高専の記事による)。石灰岩が「溶けて」空間になるのに対し、火砕流の大地は、硬く固まった層を天井に残しながら、下の柔らかい層が地下水に「削られて」空間になります。
この地域には、その代表例があります。曽於市の溝ノ口洞穴——火砕流の台地にできた洞窟としては国内最大級で、全長209.5m、国の天然記念物です。約2万9千年前に姶良カルデラから噴き出した入戸火砕流(シラス)が、溶結した硬い部分を天井に、下の非溶結部を霧島山系の湧き水に削られて形づくられた、と説明されています(曽於市/鹿児島県立博物館)。霧島の水が火砕流の大地を掘る——それは、この土地では現実に起きてきたことなのです。
この地域では、天然記念物である溝ノ口洞穴をはじめ、洞窟の中は測られ、水は名水として湧出量や水温が測られてきました。二つの記録が、長い時間をかけて積み上げられてきた土地です。
そこにひとつ、空白があります。水の中だけが、まだ測られていませんでした。
髙嶋洋氏(第一工科大学)が発見・命名した下ノ第2洞穴では、2025年12月から、眞部氏を中心とする調査チーム『洞窟探査計測シミュレーションプログラムアーカイブ(SPACAEM)』が段階的な調査を進めてきました。
無人ボート型ロボット(USV)による探査で洞口奥に通路状の洞窟を確認し、ホール状の地下空間(第1チェンバー)と水没部の存在を確認・撮影。次の段階として、この水没部の水面下へのROV探査が計画されました。
2026年3月に水没部の水中撮影、3〜4月に洞窟測量・3D計測(後掲の測量図の作成)を実施。
そして2026年4月26日、ROVによる潜航調査で、水没部の先にさらに水中部が続いている可能性が示されるとともに、その水底に土器が割れた欠片のようにも見える物体が撮影されました。
物体は現状のまま水底にあり、その実確認や詳細の評価は今後の調査・検討に委ねられています。
発見までの経緯の詳細は、佐世保高専の公式記事で紹介されています。
※ 下ノ第2洞穴の洞内の空間(チェンバー)/撮影:藤井雄基
※ 下ノ第2洞穴の洞内の水没部/撮影:藤井雄基
水中ドローン(ROV)は、人が容易に立ち入れない水中空間の調査範囲を大きく広げます。
一方で、狭い空間や濁りの中での繊細な記録・計測は、ROVだけでは完結しません。また、ROVが水中で拘束されるなど移動不能になった場合には、潜水者による救出・回収が必要になります。
ロボットが可能性を広げ、人が確定させる。そして、有人潜水で得られた実測データがROVによる計測の検証に使われることで、次の無人探査の精度が上がっていきます。
そして、理屈だけでもありません。測量図の水面から先は、いまはまだ白紙のままでした。
ROVが捉えた土器状の物体を確かめる役目を負うことも、地図の白紙の部分に、最初の測線を自分の手で作っていく作業も、率直に言って心躍ることです。
※ 下ノ第2洞穴の洞口付近
※ 大出水の湧水の出水箇所/撮影:藤井雄基
大出水の湧水は、天降川の支流である久留味川のほとり、岩に囲まれた湧き口の底から毎分22トンもの水が湧き出す場所です。水温は年間を通じて15℃前後(霧島市観光協会・霧島市公式サイトより)。手押しポンプで水を汲むことができ、焼酎の割り水に、米を炊く水にと、地区の内外から汲みに通う人が絶えません。
2025年8月の記録的な大雨では、久留味川の氾濫により水汲み場の階段や護岸が崩れる被害を受けましたが、復旧工事を経て2026年2月に利用が再開されたばかりです。それだけ、地域の暮らしに深く根ざした水だということでもあります。
その湧き口の奥がどうなっているのかは、まだ分かっていません。水の中に空間が続いているのか——今回の調査では、まずそれを確かめるところから始めます。
今回の潜水は、伊左治佳孝・森裕和の2名で行うこととしました。
下ノ第2洞穴の地図の先に、何が広がっているのか。ROVが捉えたあの土器状の物体を、この目で見たとき、何が分かるのか。
そして、大出水の湧き口の奥に、水中の空間は続いているのか。
水没部の測線が陸上の地図とつながったとき、下ノ第2洞穴の全体像は、初めて一枚の図になります。
その図と、水底の物体の記録、そして大出水の湧水で確かめたことを、発見からここまで調査を重ねてきた研究チームと、この土地に手渡せるかたちに残すこと。それが、我々がこの調査で引き受ける役目だと考えています。
なお、下ノ第2洞穴の所在地の詳細(経路・座標等)は、文化財保護と安全確保の観点から非公開としています。
※ 下ノ第2洞穴 水中部の入口候補地点(第1チェンバー周辺)
調査の前日、コミュニティFM「FMきりしま」に出演させていただきました。これから何を調べに来たのかを、まず地元の方にお伝えしたいと考えたためです。
パーソナリティの方とお話しし、リスナーの方からも反応をいただきました。調査で訪れる土地の方と、潜る前に言葉を交わすのはとても重要で大事なことだと思っています。
調べた結果は、この土地の方々にお返ししたいと考えています。またこの場所から、調査の報告をさせていただければと思っています。
※ FMきりしまのスタジオにて、パーソナリティの小池順子氏と
※ 大出水の湧水の潜水調査の様子
※ 大出水の湧水の、水中の湧出口
現地入りの翌日、最初に潜ったのは大出水の湧水です。毎分22トンの水の出どころ——湧き口の奥に空間が続いているのかどうかを、確かめることから始めました。
大出水は地域の生活の水です。調査の間も水を汲みに来る方が絶えず、多くの声をかけていただきました。
湧水というものが生活に根付いていることを強く感じ、我々が霧島の調査で水中の情報を明らかにすることで、地域の方に返していければよいと改めて思うことになりました。
湧き口からエントリーし、真下へ2m。
底に着くと、横から水が湧き出していました。レギュレーターが押されるほどの勢いで、湧き出し箇所には岩が挟まっています。空間はその奥へ続いていますが、人が入れる大きさではありませんでした。
「地底湖」のような空間を想像していましたが、どちらかというと「ホース」のようで、まるで異なっていました。あれほどの量の水がこの小さな経路から出ていることが、私には一番の驚きでした。
大出水の水中部の確認は、この短い潜水で決着しました。
残った時間を下ノ第2洞穴の調査に充てることとし、同日の午後、我々は予定を繰り上げて現場を移しました。
今回の調査で我々は、24日の午後から25日にかけて、下ノ第2洞穴の水中部に潜りました。
潜ったのは、測量図の上では白紙だった、水没した区間です。
潜ってみると水中は、体の厚みに少し足した程度の狭い通路が多く、サイドマウントではない通常のダイビング装備では通り抜けられない箇所が多い空間となっていました。
水底にはシラスとみられる細かな堆積物が厚く積もり、わずかな動きで濁ります。
そのような環境ではありますが、同行した森氏とともに水中を進み、ROVでは確認しきれなかった水中の構造を確かめていきました。
既存の陸上の測量図に載っていなかった水中を確かめることができましたが、一方で、奥へ続く可能性があるとみていた箇所は、その先は閉じていました。
第一工科大学の髙嶋洋氏の研究では、この洞穴の湧出量は1日およそ28トンとされています。毎分に直せば約19リットル。水中で我々が感じた流れも、この数字に相当する程度の非常に弱いもので、「水路」という印象ではありませんでした。
壁面は、石灰岩とは異なり、私には溶結凝灰岩のように見えました。これらの壁面や水底の堆積物も撮影し、研究者の方に確認していただける形にしています。
※ 下ノ第2洞穴の内部
※ 下ノ第2洞穴の水中。全域にわたってこの程度の大きさの通路が続く。
※ 器片のような遺物とマーカー
※ かまど状のものが割れた、ブロック状のもの
この潜水のもうひとつの役目は、ROVが水底で捉えていた土器状の物体を確かめることでした。その物体は、今回の潜水では確認できませんでした。
一方で、今回の調査前に候補としていたものとは別に、多くの遺物や人の痕跡を発見することができました。
今回、水中で新たに発見したのは、以下の6点です。
なお、これらは今回記録するにとどめ、引き上げなどは行っていません。
これらが何であるのか、いつのものなのかは、専門の方々に託したいと思います。
器片のような遺物には、洞内の陸上部分から一直線にたどり着けるようラインを引き、その位置にマーカーを打ちました。次に潜るとき、まっすぐその場に戻るためのものであるとともに、マーカーは寸法のスケールを兼ねます。
各遺物はフォトグラメトリ(3D写真)用の撮影を行いました。立体像の合成はこれからです。あわせて、遺物のおよその位置と水中部の外形線を、一枚の図に起こしました。
これらをもとに、後日我々や他の方が調査に入った際にも、ゼロからではなく調査が行えるようにできたと考えています。
※ 下ノ第2洞穴 水中部——遺物のおよその位置と外形線(原図:Y. Fujii/作図:伊左治佳孝)
※ 髙嶋洋氏の研究室にて
調査を終えたその日のうちに、第一工科大学の研究室に髙嶋洋氏を訪ねました。氏は、下ノ第2洞穴を発見し、命名した地質の研究者でもあり、今回の調査にも協働しておられます。水の中で見てきたことを持って、この土地の水のしくみを伺いました。
氏の説明によれば、この地域の大地は二つの層でできています。下にあるのが加久藤火砕流堆積物——氏によれば34万年前の噴火によるもので、内部が風化して詰まり、水を通しにくい層です。その上に、水をよく通す入戸火砕流堆積物(約2万9千年前)が載っています。「シラス」は広い意味で使われがちな言葉ですが、狭い意味でシラスと呼ぶのはこの入戸火砕流堆積物のことだそうです。この噴火の火山灰は、北海道でも見つかるほどの規模でした。
そのうえで、二つの水は別のかたちをしていました。下ノ第2洞穴の水は、加久藤と入戸の境目から湧き出す、圧力のかかっていない地下水(不圧地下水)。大きな流量は出ません。大出水の湧水は、加久藤の中を抜けて下から上へ上がってくる、圧力のかかった地下水(被圧地下水)。だから大きな流量が出ます。我々が水中で測った二つの観察は、この枠組みのそれぞれの場所に収まります。
入戸には水を通しにくい層がないのに、なぜ下の水に圧力がかかるのか。氏は、加久藤の上側が土壌化して粘土の層をつくり、それが蓋の役割をしているのではないか、と考えています。
大出水の水中で私が感じたこと——この岩は、水に溶けないんだな——を氏に伝えると、答えは明快でした。石灰岩は水に溶けるが、凝灰岩は溶けない。凝灰岩の地形は、溶けるのではなく、水に削られることでかたちづくられる。我々がこれまで潜ってきた「溶ける岩」の世界と、この土地の「削られる岩」の世界の違いを、研究者の方に裏付けてもらったように感じます。
調査を終えたその日のうちに、第一工科大学の研究室に髙嶋洋氏を訪ねました。氏は、下ノ第2洞穴を発見し、命名した地質の研究者でもあり、今回の調査にも協働しておられます。水の中で見てきたことを持って、この土地の水のしくみを伺いました。
氏の説明によれば、この地域の大地は二つの層でできています。下にあるのが加久藤火砕流堆積物——氏によれば34万年前の噴火によるもので、内部が風化して詰まり、水を通しにくい層です(加久藤火砕流堆積物の透水性が低いことは、新地青空・奥野充・髙嶋洋「霧島市国分地域の水文地質構造と地下水流動についての研究」〔要旨〕にも報告されています)。
その上に、水をよく通す入戸火砕流堆積物(約2万9千年前)が載っています。
なお、「シラス」は広い意味で使われがちな言葉ですが、狭い意味でシラスと呼ぶのはこの入戸火砕流堆積物のことだそうです。この噴火の火山灰は、北海道まで追跡できるほどの規模だということです。
そのうえで、今回調査をした二つの洞窟の水は、別のかたちをしていました。
下ノ第2洞穴の水は、加久藤と入戸の境目から湧き出す、圧力のかかっていない地下水(不圧地下水)。入戸の層の上から染み込んだ水が、透水性の悪い加久藤の層にぶつかって横へ逃げ、境目から湧き出てくるような水。したがって、噴き出してくるような水ではありません。
この形式は、私が潜ることが多い、石灰岩の水中洞窟にも近いと言えるでしょう。
一方で、大出水の湧水は、透水性の無い加久藤の中を「割る」ような形で抜けて、上の層からの圧力を受けて水が下から上へ上がってくる、圧力のかかった地下水(被圧地下水)です。だから大きな流量が出ます。
先に書いたとおり、下ノ第2洞穴の湧出量は1日およそ28トン。大出水の湧水は毎分22トン、1日に直せば3万トンを超えます。下ノ第2洞穴は大出水の0.1%以下で、千倍以上の開きがあります。この桁の差は、水の型の違いとして説明がつきます。
我々が水中で見た二つの観察は、この枠組みのそれぞれの場所に収まります。大出水の湧き口で見た、岩の間の細い経路から勢いよく噴き出す水は、地層を割って上がってきた被圧の水が、最後に地表へ抜ける出口でした。
霧島においては、大量の水が出ていることは、その奥に人が入れる空間があることを意味しないようです。
水中部の3D計測は、堆積物の濁りの影響で今回は見送り、次回に持ち越しました。遺物の位置まではラインを残してあり、次の潜水ではまっすぐたどり着けます。フォトグラメトリの合成も、これからの作業です。
そこまでの調査結果は、7月25日の夜に霧島市教育委員会に報告させていただきました。
さらに7月26日には、内部が水没した、新たな洞窟が発見されました。
私はその時点で現地を離れており、現地に残った者だけでは、十分な潜水調査はできていません。更なる発見がありそうです。
今回のデータ、遺物の記録、位置と外形線の図は、眞部氏、髙嶋氏、および関係機関へ提供しました。「手渡せるかたちに残す」——調査の前にそう書いた役目の実行でもあります。
調査にあたっては、眞部広紀特任准教授はじめ調査チームの皆様、髙嶋洋氏、そして大出水で声をかけてくださった地域の皆様に、深く感謝申し上げます。
関連の報道(2026年7月の調査について)
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