軽巡洋艦「長良」 沈船調査プロジェクト

Light Cruiser Nagara Wreck Exploration Project

軽巡洋艦「長良」の潜水調査の始まり

軽巡洋艦「長良」は、第二次世界大戦中、アメリカ軍潜水艦の雷撃により熊本県天草諸島・牛深沖で沈没した、日本海軍の軍艦です。乗組員583名中348名が戦死し、戦争の悲惨さを今に伝える存在となっています。

例年、撃沈された8月7日には、「乗組員の御霊に弔意を表すとともに、一人でも多くの方に戦争の悲惨さと平和の尊さを伝えていく」として慰霊祭が実施されており、2025年8月9日には戦後80年として洋上での慰霊祭も執り行われました。

そのような折、私が長生炭鉱の潜水調査で取材を受けていた際、記者の方から「私は『長良』の戦死者の遺族にあたる」というお話をうかがいました。これが、私がこの艦について本格的に調べる契機となりました。

その後、慰霊祭を主催する天草市社会福祉協議会牛深支所の方々、遺族の方々と連絡を取り合い、水中調査に向けて進めていくこととなりました。

「長良」の沈没地点は既に特定されていますが、水深100メートルという深度にあり、通常の潜水は不可能な水深です。

DIVE Explorers(主宰:伊左治佳孝)では、未踏の水中洞窟や大深度域の調査などを継続して行っています。
その探検や調査で培った技術と経験を本件にも活用し、現在の長良を記録に残すとともに、当ページで「長良」沈船の潜水調査に関わる状況を報告してきます。

軽巡洋艦「長良」とは

「「長良」は長良型軽巡洋艦の一隻で、1922年(大正11年)に竣工しました。太平洋戦争期には第一線で運用された実戦艦です。
同型艦は「長良」「五十鈴」「名取」「由良」「鬼怒」「阿武隈」の6隻で、球磨型(第1グループ)、川内型(第3グループ)と並び、「5500トン型軽巡洋艦」と総称されています。

また、「長良」の艦内には岐阜県岐阜市の伊奈波神社(いなばじんじゃ)が分祀され、艦内神社として祀られていました。

  • 長良の主要目
  • 基準排水量: 5,170トン
  • 基準排水量: 5,570トン
  • 垂線間長(長さ): 162.15メートル
  • 型幅(幅): 14.17メートル
  • 深さ: 8.84メートル
  • 乗員: 定員450名
撃沈される前の軍艦長良

軽巡洋艦「長良」の撃沈

1944年7月、「長良」は沖縄から鹿児島への民間人疎開輸送任務に従事していました。

同年8月5日に那覇を出港し、翌6日に鹿児島に入港。疎開者を上陸させた翌日の1944年8月7日、アメリカ軍潜水艦による雷撃を受けました。

その結果、「長良」は熊本県天草市牛深の沖合約10キロの海上で沈没し。乗員583名のうち348名が戦死し、救助された237名(記録によっては235名)が生還しました。
救助された乗員は、牛深の漁師たちによって救出されたと伝えられています。

「長良」の“今”

当時、「長良」の撃沈は軍機として厳重に秘匿され、戦時中はもちろん戦後もしばらくの間、慰霊活動はほとんど行われませんでした。

しかし、1898年生まれの佐々木ツルさん(享年88)は、個人の信念から長年慰霊を続けました。
1970年には私財を投じて、沈没地点を望む高台の在郷軍人墓地に「長良慰霊碑」を建立。毎朝手を合わせ続けたといいます。

その想いは天草市社会福祉協議会牛深支所へと受け継がれ、現在では毎年8月7日に慰霊祭が恒例行事として実施されています。

2025年8月9日には、戦後80年の節目として、海上での慰霊祭および慰霊式典も執り行われました。
この洋上慰霊祭では、海上自衛隊の掃海艇「とよしま」へ遺族の方々や関係者が乗船し、その後の慰霊式典には総勢約150名が参列しました。

BS TBSによる常陸丸の発見

2025年8月11日 KKT NEWS NNNより

長良と私の関わりの開始

そのような慰霊が行われている中で、私の潜水調査に取材にお越しいただいている記者の方から、「私は『長良』の戦死者の遺族にあたる」というお話があったところから私とこの艦との関わりの始まりでした。

当初、私は長良や慰霊祭の存在を知ってはいましたが、具体的な現況までは把握していませんでした。
最初にお話を聞いた後に調査や関係者への聞き取りを重ねるうち、「長良」を語り継ごうとする関係者の方々の想いを感じ、私たちが実際に潜水して、現在の長良の姿を写真にとどめたり、遺品を収容してくることは歴史の継承の一助になるのではないかと考えるようになりました。

社会福祉協議会・遺族の方々

私はこれまで数多くの沈船調査を行ってきましたが、そのたびに感じるのは、沈船とは“歴史の証人”であるということです。
したがって、その潜水調査に臨む際には、単なる水中作業にとどまらず、船の背景に触れ、船の背景・歴史・人々の想いを理解することが不可欠だと考えています。

まさにその歴史を紡いできた天草市社会福祉協議会牛深支所の方や、遺族の方々と連絡を取り、2025年12月に一度天草市牛深までご訪問させていただくこととなりました。

社会福祉協議会には長良記念館が併設されており、想いを知るとともに、我々が撮影した写真などが今後長良を語り継ぐうえでの一助となればという想いもあります。

社会福祉協議会の方からは、「語り継ぐための材料が増えることは有難いことだ」というお話もありましたが、いずれにせよこれまで歴史を紡いできた方々の一助になるような試みをしたいと考えており、何を実施するのか、逆に何を実施しないのかということについてもお話をしようと考えています。

天草市社会福祉協議会牛深支所

社協の所在する天草市役所牛深支所

福本壮一氏から長良のご説明をいただく

福本氏に長良のご説明を頂く

長良博物館

長良のこれまでの記録が展示されている。

現地訪問(2025年12月22日)

2025年12月22日、私(伊左治佳孝)と、清水淳氏、そして私がテクニカルダイビングを講習した生徒でもありサポートダイバーとして参加していただく森裕和氏、調査の契機となったジャーナリストで遺族の方と天草市社会福祉協議会牛深支所を訪問しました。

訪問では、慰霊と継承を担ってこられた関係者からお話をうかがい、水中の現況調査と撮影は長年の念願であるという言葉も頂戴しました。戦後80年を迎え、慰霊の場を「語り継ぐための材料」として記録を残す意義を、改めて確認する機会となりました。

訪問する前から、軍艦長良には非常に多くの方の想いが集っていると感じていましたが、その中でも故佐々木ツルさんから直接慰霊の引継ぎを依頼されたという、天草市社会福祉協議会福本壮一氏の長良への思いは並々ならぬものだと感じられ、私もさらに心を込めて取り組まなければならないと気持ちを新たにしました。

社協に併設される「軍艦長良記念館」には、これまでの長良の記録や写真などが数多く展示されています。
来場者コメント用のノートが設置されていましたが、そちらを拝見したところ全国各地から来場されている様子で、これまで継続して長良の伝承に取り組んでこられた成果であると感じました。

その後引き続き、毎年慰霊祭にご協力されておられる「ダイビングショップ・トミカワ」をご紹介頂きました。

オーナーの冨川さんはご夫婦でショップを運営しておられ、慰霊祭では遺族の方々が乗られる船などを出しておられます。 我々が長良の調査を実施するにあたって諸々のご協力をご依頼させていただいたところ、ご快諾いただきました。
潜水場所となる海に精通した現地のダイビングサービスにご協力いただけることは、これ以上心強いことはありません。

長良の慰霊祭で船を出しておられる、ダイビングショップトミカワ

ダイビングショップ・トミカワ

長良の慰霊祭で船を出しておられる、ダイビングショップトミカワ

オーナーの冨川氏

ツネさんが建立された軍艦長良慰霊碑のある、慰霊の丘

長良の慰霊碑と墓のある慰霊の丘

慰霊の丘

佐々木ツルさんが慰霊碑を建立された場所は、今では「慰霊の丘」と名付けられています。
過去のメディア報道から、慰霊碑は沈没地点を望む高台に建てられていると聞き及んでいましたが、そちらにもご案内いただきました。

慰霊碑を管理されておられる社会福祉協議会の方におうかがいすると、慰霊碑からまっすぐ見下ろした場所が、まさに長良の沈没地点であるということでした。

なお、道路から慰霊碑までは120段以上の階段を上った距離があり、そちらの清掃なども社会福祉協議会の方が実施されておられるということでした。
日常的な手入れが継続されていることは、慰霊が年に一度の“行事”というだけではなく“日常の営み”として守られていると感じました。

関連の報道(2025年12月の現地訪問について)

軍艦長良慰霊碑への道 戦没者の墓地 軍艦長良慰霊碑
奈良大学の教授で中原義一郎艦長の孫の、中原洪二郎氏

長良の中原義一郎艦長の孫にあたる、中原洪二郎氏

中原洪二郎氏への訪問(2026年4月23日)

2026年4月23日、長良の潜水調査に向けた準備の一環として、奈良大学を訪問し、当時の長良艦長・中原義一郎氏の孫である中原洪二郎氏にお会いしました。

中原氏は、2025年に牛深で行われた戦後80年の「軍艦長良洋上慰霊祭・慰霊式典」において、遺族代表として謝辞を述べられた方です。長良の沈没から80年を経てもなお、牛深の地で慰霊が続けられてきたことへの感謝、そしてその記憶を次の世代へつないでいくことの大切さを語られていました。

今回の訪問は、潜水調査の実施に向けた単なる説明や報告ではありません。
私たちがこれから向かおうとしている海底には、ひとつの沈船があるだけではなく、戦没者の記憶、遺族の想い、そして牛深の人々が長年守り続けてきた慰霊の歴史があります。そのことを改めて確認するための訪問でもありました。

これまで私は沈船調査において、「沈船とは歴史の証人である」と述べてきました。
しかし、今回の訪問を通じて、その言葉の意味をさらに強く感じることとなりました。沈船を記録することは、単に船体の形状や沈没状況を確認することではありません。海底に残された現在の姿を記録し、それを地上にいる人々の記憶と結び直す作業でもあります。

長良は水深80メートルを超える外洋に沈んでおり、潜水調査としては極めて難度の高い対象です。技術的な準備、安全管理、撮影計画、現地との連携など、越えなければならない課題は少なくありません。

それでも、この調査によって現在の長良の姿を写真や映像として残すことができれば、それは慰霊の継続に資するだけでなく、長良を知らない世代に戦争の記憶を伝えるための新たな資料となり得ます。

中原氏への訪問を経て、私はこの潜水調査を、単なる大深度沈船調査としてではなく、遺族、地域、そして未来の世代へ記録を手渡すための調査として進めていく必要があると、改めて認識しました。

潜水調査に向けて

現在、遺族の方々や、慰霊祭を行ってきた天草市社会福祉協議会の方々と調査計画を調整しており、
現時点では、風・潮流が相対的に弱まる時期を考慮し、2026年7月の小潮の日を第一候補として関係者と調整を進めています(※実施日は海況・安全要件を満たすことを条件に最終決定します)。

沈没地点の水深はおよそ100メートル(海図上では最大120メートル)に達し、かつ潮流も強いであろう外洋でもあり、極めて高難度の潜水です。

しかし高難度の潜水ではありますが、本調査で得られる記録は、慰霊の継続に資するだけでなく、戦争の記憶を次世代へ手渡すための「一次資料」としての価値を持ち得ます。海底に眠る歴史の“いま”を、確かな形で残すことを目標に、慎重に準備を進めてまいります。

Members for This Project(A→Z)

Exploration & Filming Team

  • Hirokazu MORI(森 裕和)
  • Yoshitaka ISAJI(伊左治 佳孝:DIVE Explorers)
  • Yosuke OGIWARA(荻原 庸介)

Organize

  • Yoshitaka ISAJI(伊左治 佳孝:DIVE Explorers)