Minelayer Tsubame Wreck Exploration Project
敷設艇(ふせつてい)の「燕(つばめ)」は、第一次世界大戦後に日本で建造された敷設艇であり、第二次世界大戦中にアメリカ軍の攻撃を受けて宮古島沖に沈没しました。
船体は今なお海底に眠り、犠牲者とともに静かに時を刻んでいますが、これまでその正確な位置は確認されていません。
今回の調査は、直接のご遺族の方からの依頼をうけて実施を試みるものです。
これは、遺族の想いに応える機会であると同時に、戦没者慰霊と海洋文化遺産の調査・保全という両面から、極めて意義のある取り組みであると考えます。
船の発見が成功するかは未知数ではありますが、我々の技術がその一助となり、慰霊や研究の発展に役立てば嬉しく思います。
「燕」は、第一次世界大戦後に日本で建造された「燕型敷設艇」の一番艦で、同型艦として二番艦「鴎(かもめ)」が存在しました。
『日本海軍護衛艦艇史』によると、「燕型」は近代型敷設艇のプロトタイプとして位置付けられたとされています。
当時の「敷設艇」は、機雷・防潜網・航路標識の敷設を目的とする艦艇で、戦時中にはその従事範囲は広がり、沿岸防衛や船団護衛などの任務にも従事しました。
燕型敷設艇のうち、「燕」と「鴎」はともに南西諸島方面(九州南端〜台湾北東部)で戦没しましたが、今回の調査対象は、1945年3月1日に宮古島沖で沈没した「燕」です。
敷設艇「燕」は、軍艦としては比較的小型の船であり、戦時計画上の定員は約80名とされています。
『先島群島作戦(宮古篇)』によれば、「燕」は1945年2月13日、2隻の輸送船を護衛して佐世保港を出港し、途中で数度の攻撃を受けながらも2月29日夕方に宮古島へ到着しました。
しかし翌3月1日午前7時頃より米軍戦闘機の襲撃を受け、同日17時頃に沈没。この戦闘で吉田武雄艦長以下70数名が戦死したとされています。
一方で、生存した乗組員約40名が宮古島の既存部隊へ編入されたとの記録も存在します。しかし艦の定員との整合性に矛盾がみられるため、実際の死傷者数については正確な記録が残されていないと考えられます。
また、攻撃を行った米軍機については、**F6F グラマンとする資料と、F4U コルセアとする資料の双方があり、当時から識別誤認が多かったとされるため、判然としません。
本艦「燕」に関する主要な記録としては、以下の文献が挙げられます。
私はこれまでも数多くの戦争沈船に潜水してきましたが、当初はこの敷設艇「燕」について十分な知識を持っていませんでした。
その中で、沖縄戦遺骨収集活動を続ける具志堅隆松氏との出会いでした。長生炭鉱の調査を通じて知己を得た同氏より、2025年2月頃に「燕の遺族から潜水調査の相談を受けている」との相談を受け、調査に関心を持ち始めました。
その後、2025年秋に詳細な聞き取りを行ったところ、依頼者は燕の艦長・吉田武雄氏の長男である吉田進氏であることが判明しました。
過去にも地元のダイブショップの協力により数度の捜索が試みられたそうですが、発見には至らなかったとのことで、吉田進氏のご高齢を考慮すると、調査を早急に実施する必要があると感じ、本件を進めていくことにしました。
その後いただいた資料を確認し、下記のような現状を把握しました。
また、燕と遺骨収容を願う遺族の方については、2025年4月10日のNHK「おはよう日本」でも大きく取り上げられられ、そちらでは吉田進氏の想いが語られています。
NHK ニュース 海に沈む30万の遺骨も…収容は1% 戦後80年の現実
加えて、海没遺骨の取り扱いをめぐっては、近年社会的関心が高まっています。 近年ではレジャーダイバーが遺骨を撮影・SNSに投稿した事例が相次いだことから、政府は2020年に「遺骨の尊厳が損なわれるおそれがある場合には積極的に情報収集を行う」との方針を表明しました。
しかし、NHKが厚生労働省に取材したところ、同省は「船自体が発見されておらず、遺骨が人目に触れる状況ではないため、“尊厳が損なわれる”状態には該当しない」と回答。
したがって、「燕」に関しては国による公式な調査対象には含まれていないのが現状です。
過去の潜水で発見に至らなかった経緯を踏まえ、「燕」の現状については以下の可能性が考えられます。
これまでの捜索で発見されていないことと、比較的浅い海図上の水深を考慮すると、船体が破損または砂中に埋没している可能性もあります。
その場合には捜索は相当の困難を伴うと予想されます。
一方で、船体が崩壊していても、陶磁器などの遺留品は、腐食に耐えて残存していることが多いため、海図の位置が正しければ砂中に埋没していなければ発見の可能性があります。
また、沈没位置が海図よりも実際にはより深い方向へずれている場合には、船体が原形を保っている可能性も高まります。
これらを踏まえ、 早期に調査を実施すべく現地との調整を開始しました。
私は沈船に潜るにあたっては、過去の潜水履歴やその来歴、図面などを下調べすることを習慣にしています。
これは、「沈船への潜水は、その歴史に潜ることだともいえる」という思いがあるために調べるのであると同時に、艦の構造を把握しておくことは安全度や調査の効率の向上に寄与するためです。
しかし、「燕」に関しては資料が極めて少なく、船内配置や構造に関する情報が非常に断片的でした。
その中で、模型作成を目的として、図面などから自らイラストを作成して公開されている方を発見し、連絡を取らせていただいたいた結果、厚意によりそのイラストの使用許可をいただくことができました。
この資料は、船体構造の理解のみならず、遺留品捜索や調査安全性の向上にも極めて有益な情報であり、ここに深く感謝申し上げます。
※ 平田真介さんご提供
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